fc2ブログ

アメリカ:シカゴの旅 その12

下の画像を見て、おーすげー!と思われるのがこうした資料画像ね。
こうした撮影を何百枚も撮影するのだけど、それぞれの画像からは、驚くほど多くの情報が取れますです。現場に見に行っているから、実際はその場で現物を良く観察して、その記憶の記録として画像が残る。だからネットなどの画像だけだと、情報獲得量がそんなに多くない。

だから情報が欲しい人は、いくら本をたくさん見ようが読もうが、ネットで画像を集めようが観察しようが、現場で観察して来た情報量とは雲泥の差になっちゃう。現場観察は、とにかく気になる部分は徹底的に立体的に確認することができるから、鋲の一つから傷の一つまでしっかりと確認することができ、そこから多くのことが推測確認できるのね。

現場から確認できる情報は、想像するよりはるかに多いので、西洋甲冑が好きな人は、是非とも現物を良く見て確認して欲しいのよ。もちろん現物が見られない場合でも、現物を見てきたように、本や写真を穴の開くほど非常に細かく何百時間も観察すれば、その代わりにもなりますです。

IMG_1064.jpg


もちろんそれらの大切な部分を理解するためには、基本的なことをすべて知っていないと疑問すら沸かないし、現物を見ても理解できない。例え現物の横でせっかく詳しく説明されても、基礎がないと理解できないことになってしまう。あれこれ聞きたがる人に限って基礎的なことを学んでないから、説明したことが全て時間のムダになっちゃうことはいつものこと(雑談はするけどね)。

つまりこうした綺麗で精密な高解像度の画像1枚があったとしても、それは「画像の標示」であって「甲冑の情報」ではないのだ。判るかな? これは誰が見ても同じ画像だし、画像だから見える部分も形も色も全部同じの「視覚情報」。だから理解や知識がないと、見えている画像以上の情報は何も得られない。いわゆる「見えているけど見えていない」ってやつですね。


もちろんこれは画像に限ったことではなく、博物館に現物を見に行っても同じで、基礎知識や分析知識が無いと「そこにある物」で終わってしまう。見る力がなければ、一般観光客が「すごいね」「カッコいいね」「バカっぽいね」「重そうだね」と思う感想を抱くのと何ら変わりない。予習をしないで修学旅行で有名な寺を見に行くのと同じだ。だからどれほど貴重で素晴らしい西洋甲冑がそこにあって見学しても、知識と分析能力がなければ、そこから情報がまったく取れない。まさに「宝の山を前にして宝の持ち腐れ」のごとく意味がないのだ。

博物館で現物をいくらたくさん見ても、展示現場には詳しい説明や作り方などは何も書いていないし、係員に聞いても警備さんは何も知らないし、専門の学芸員は相手にしてくれるほど暇でもない。紹介や組織の看板を背負っているなら挨拶くらいなら可能だけど、普通そういった人はアポイント(予約)を入れているから、観光で見に来て知識や情報を学ぶことはまずできない(勉強は自分で)。例えプロからの説明を受ける機会が幸運にあったとしても、それは全て現地語で話される訳で、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、オランダ語、スウェーデン語、など現地語でしか会話できない。
(あたりまえだよね)

だから、博物館の現物をたくさん見れば知識が得られる、情報が集まる、と思うのは大きな間違えで、それは勉強のやり方の一番誤解を受けるところだと思う。もちろんたくさんの現物を見ることはとてもいいことだけど、「たくさん見た=詳しい情報を知っている」ではない。理屈で言えば「たくさんの勉強をした=現物で確認できる」が、もっとも近道で確実で効果的な勉強だと思う。

だから私は西洋甲冑が好きな人に、三浦さんから教わったように、写真や本(現物も)を見るだじゃなくて、最初に「これなんだ?」「なぜだ?」と思うことが大切だと説いてる。疑問が沸くからその理由を調べて分析することになるし、だからこそそこから理由と理屈で根拠が導かれて確かな知識になる。見て集めるだけ、読んで知るだけ、だと単なる好きなだけの趣味になっちゃう。

だから三浦さんから言われて自分でも判ったけど、基礎知識や分析能力が無いと、どんなに良い西洋甲冑を見ようが触ろうが、理解できずに終わってしまう。これはけっこう様々な部分で痛感したので、言われたように最初はとにかくたくさん基礎勉強をして「見る力」(鑑識眼)を養うことに長い時間と労力をかけたのですよ(記憶じゃなくて理解ね)。だから初めは海外にも行かないし、製作もしないし、とにかく基礎勉強をのんびり10年続けたのね。


話は元に戻り、この上の1枚の画像だけでも、西洋甲冑解説の簡単な本が1冊くらい作れるほど情報がたくさん詰まっていることが私には理解できる。そんなもんかな?と思うけど、これは自分に問いかけてみるとその意味が良く分かるのだ。この画像を1枚出して「どれほど多くの具体的な解説ができるか?」などをしてみると、見る側じゃなくて、語る側の知識(自分のレベル)を知ることができる訳でございます。この甲冑は語る部分が多いので、1日中解説で説明しても飽きないほど話題と情報が多いのですよ。

見たままの感想や名前を少し知っているだけじゃ、それは西洋甲冑を表面的に好きなだけで、知識の体系化や客観的分析が何も行われていないと言うことになる。日本だと知識の教えを先生から請うことで先生を奉る慣習があるけど、欧米式では先生に質問しても「それについて君はどう思った?」「君の分析はどうなった?」と先に分析(観察力)を問われることが多い(と感じてる)。自分の考察や分析がないと言うのは「知識の質問」ではなく、子供のような見たままの「どうでもイイ疑問」になっちゃう。

もちろんそれが全てではないけど、少なくても大学の講義や知的議論ではこれが一般的なスタイルで行われているし、これは考える力や分析する力が鍛えられる良い勉強や考え方だなと思ってる。三浦さんと会話するときもだいたいこんな感じで会話や意見交換しているから、これが普通で良いものだと思ってますびょ。分析や意見もなく質問ばかりだと、アホだと思われるのはそんな理由からでもあります。これは西洋甲冑に限らず、知識や議論の世界では共通だと思っちょります。

つづく





※文章画像の無断転載厳禁
スポンサーサイト



.02 2013 海外旅行記 comment0 trackback0

comment

post comment

  • comment
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackback

trackbackURL:http://armourer.blog64.fc2.com/tb.php/347-219a1f55

プロフィール

マクシミリアン1世

Author:マクシミリアン1世