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胸当の縮小改造 原型 その1

ちょっと製作が続いたので、再びちょっと脱線して、改造作業なんかを簡単に紹介してみようではないか。この改造作業はしばらく前にやったやつだけど、けっこう面白かったよ。簡単だけど、ざっと覚えている程度に書いてみま〜す。

今回の品は、下記の西洋甲冑の胸当の縮小化改造でございます。海外で制作された物だけど、海外の物はサイズがだいたいでっかいので、こちらがいくら期待してもちょうどいいサイズの物はめったに手に入らないっす。基本的にサイズはそんなに細かく造っていないので「大中小」くらいしか分けてないし、安いのはだいたい在庫なので、身体サイズを通知しても、ほとんどは「大は小を兼ねる」程度の考えで、平気ででっかいのを送りつけて来るんだなこれが。なぜなら、小さくて着られないと一発で返品になるからさ。
(・ε・)

まぁせっかくですので、この胸当の時代背景なども簡単に説明してみたいと思います。歴史の話なので興味ない人は全部すっ飛ばしちゃってくださいな。

改造前・正面
IMG_1361.jpg

この胸当は海外で造られたもので、細かいことはぬきにして、溶接も使っていませんし、歴史的にも違和感のない胸当です。おそらくChurburg城にある胸当を構造コピーした物なのだろうかと想像しています。
この胸当の歴史時代は、14世紀後期から15世紀初頭に見られる物で、国や地域によって多少の時間差があっても、おおむね英仏百年戦争の中期に使われたタイプの胸当です。英仏百年戦争の前期は、まだ十字軍のような鎖鎧と単純な鉄板を多く使っています。また百年戦争後期になると全身鉄板の甲冑がよく使われるようになりました。この胸当はその中間の物で、鎖鎧は使われていたものの、全身の多くに鉄板を使うようになった時代の胸当で、まだ鎖鎧とも鉄板鎧とも区別しにくい中間的なものでした。

改造前・側面
IMG_1362.jpg

これは胸当を見ても分かるように、鉄板を数枚つないで大きな面積を造り上げていますが、背面や下腹などは隙間が多く、私たちが知る一般的な胸当とは異なり、まだ板金やメカニズムが完成されていないことが分かります。鎖鎧から進化した簡易型鎧・ジャゼラントやコートオブプレートは鎖鎧の上から重ねて着用していましたが、それが発展して14世紀後期になるとこのような鉄板を身体の形に合わすような形状の胸当や部分鎧が出てきました。
この時代ではまだ広い面積の鉄板が材料として量産されていなかったので、こうした中サイズの細長い鉄板を組み合わせることで、「びょうぶ」のような腹巻き構造で胴体を包む胸当に造られました。この胸当は、それまでのジャゼラントやコートオブプレートのように鎧が身体に密着せず、大きく丸く膨らんで形づいて、強い衝撃から鉄板の変形を抑え、物質的な強度だけでなく力学的な強度を持ったものでした。また当時に手を焼いていたロングボウやクロスボウなども、こうした立体的な胸当なら、5~10センチほど矢が刺さっても身体に致命傷を与えないような効果がありました。

改造前・背面
IMG_1363.jpg

このあとの時代では進化して、胸当も鉄板の枚数が少なくなり、15世紀に入ると、1枚作りの鉄板で胸当が造られるようになりました。これは鉄板の材料がそれまでより工業的、組織的な生産になり、広い面積の鉄板材が大量に造られたもので、いわゆる百年戦争後期になると、騎士たちの絵や彫像を見る限り、一気に全身鉄板化する甲冑に変化することになります。
このような胸当はよく「隙間から剣や槍で刺されてしまうではないか!」とも言われますが、確かにその通りで、だからこそこの時代の14世紀後半の騎士たちは、この鎧の上に刺し子の服「ジュポン」を着用していました。このため当時の写本やイラストを見ると、鎧の上にジュポンを着ていることから、多くは胸当を付けているのが詳しく分かりません。現物も残っていないことから、この時代の甲冑姿を正確に知ることは難しいのです。
ジュポンを着ていることで隙間に剣や槍は容易には刺さらず、それまでの鎖鎧とコートオブプレートの重ね着などと異なり、重量も軽くなって当時ではこの武装が大流行しました。どの騎士も兵士も、鼻の尖ったバシネットを被り、ジュポンを着ているのが多く描かれ(とりわけフランス側)、いかに流行していたかがよく分かります。

改造前・背面拡大
IMG_1364.jpg

ちなみに今回の胸当には下腹当はついていませんが、当時は別パーツでスカート状の鎧を身に着けていました。胸当とスカートが直接つながっていなかったので、上半身が激しく動いても腰から上は独立して動くことができました。下腹のパーツは革で連結されている鎧意外はほとんど残っていません。そのためんか現代の復元ではほとんどが胸当だけで、下腹当であるスカートのない騎士で再現されることがたびたびあります。
現物がなく、写本や彫像でもジュポンで隠されて見えない。そんなはっきりしない時代の甲冑ですが、だからこそ、わずかな手がかりで当時を考察するのは、とても楽しいかなと思うところです。

改造前・上面
IMG_1365.jpg

さらに余談になりますが、このタイプの胸当は、一般に言われる英語の「ブレスト・プレイト」ではなく、中世フランス語の「プラストロン・ドゥ・フェール」と呼ばれています。意味は単純で「鉄の胸」というシンプルな意味です。略して「プラストロン」とも言われていたようです。その他に古いラテン系の中世フランス語として「ピザン」とも呼ばれていたようです。これは「盛り上がったもの」つまり膨れた胸当のことのようです。
鉄板を裏革でつないだ物、表から革でつないだ物、様々なタイプがあったようですが、これといって特定の形式があったわけではなく、まだ各地自由に製作していたようです。このへんの時代は、甲冑の移行期なので、前述のコート・オブ・プレートの後期型、各種ジャセラント、各種ブリガンディーン、各種プラストロン・ドゥ・フェールの違いははっきりしておらず、時代や地域によって形や呼び方がたくさんあったので、明確に区別しにくいものです。
よく14世紀後期の胸当の原型コートオブプレートの実例としてヴィスヴィーの発掘鎧が代表的に示されていますが、あそこの鎧も様々な形があって、区別のつかない物ばかりが混在しているので、甲冑の変化は同じ一つの時代でもゆっくりと虹色になっていることが解ります。
今回の胸当は、フランス風にプラストロンと呼ぶか、ドイツ風にブルストンと呼ぶかなどは、想像して楽しめるところかなと思います。

歴史話は退屈なのでこれでおしまい。
それでは改造作業に進みましょう。





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.25 2012 修理・改造作業 comment0 trackback0

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