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西洋甲冑と日本甲冑の理解

先日、三浦さんとお会いして来ました。♪
2009年に行われた板橋区郷土資料館の「甲冑 西と東」のことが、ドイツの武具研究会に伝わることになり、それを知った会員の方が、研究会の会報にこの「甲冑 西と東」を紹介してくれました。(笑)

すでに終わっていた展示会でしたが、とてもよく評価してくれました。
私はドイツ語が読めないのでわかりませんが、三浦さんがコツコツと翻訳をして、その翻訳をもらうことができました。とても素晴らしい内容なので、その翻訳した日本語をここで紹介したいと思いました。

翻訳なので独特な文章ですが、西洋甲冑や日本甲冑に興味があったら是非読んで下さい。
日本ではちっとも理解されない西洋甲冑や武具研究ですが、海外や学者さんはきちんと理解して評価して下さるので、いつもとっても嬉しいです。
反対に国内ではケチ付ける人間ばかりでとても残念です。;

「数が多くても雑魚ばっかじゃ意味がない。解る奴が独りでもいればそれで良いんだ」なんて以前に三浦さんが言っていましたが、こうして紹介文を呼んでいると、その言葉の意味が深く理解できます。(笑)

今回紹介されたドイツの武具研究会の会報は以下のものです。
「武器と服装学・2009年、後期号、ナンバー51」
巻末の情報ページにA5版で2ページほどです。



途中注釈がありますが、以下は頂いた翻訳のテキストです。
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「西と東、西洋と日本の甲冑の異例な展覧会 於・日本」
クラウス・ライプニッツ 著 / 三浦權利 訳

 この展覧会は2009年7月18日から9月27日までの期間で、東京の板橋区立郷土資料館で開催された。
 そこでは、甲冑と部品の陳列を普通の仕方ではなく、16世紀の初めから19世紀の終わりまでの西洋と日本の甲冑を同じ時代で比較して扱っている。
 この展覧会は国柄の相違とそれぞれの甲冑の性質の哲学を特に強調し、それらを並べることによって、その利点と欠点をはっきりさせている。
 西洋の主な甲冑は完全に防御されるのが当然とされているのに、日本の甲冑は着る人が動きやすいことを良しとし、主な部品は頭、首、そして胸、この胸当は後の時代には弾丸に大丈夫なのが必要とされた。

 この展覧会で輝いているのはマクシミリアン式甲冑のレプリカで、有名な日本の甲冑師・三浦權利氏の作で、原作に忠実に完成された傑作で、マクシミリアン式の外見だけでなく、16世紀の制作方法を厳格に守っている。言い換えれば、このスチール製の甲冑はそれに合った特殊な製法で厳格に造られている。
 この甲冑師・三浦氏は日本唯一人の専門家で、日本で西洋式の甲冑の製作や修理をしている。彼は日本に於ける、いわゆるlebender National schatz(人間国宝)として通用する。日本人の芸術家や職人で、この称号を授かった者はほとんどいない。
 しかし三浦權利氏に限らず、彼の弟の三浦公法氏もまた熟練した甲冑師で、日本の甲冑と復元家として、とりわけイギリスのロンドン塔に於いて認められている有名人である。
 数年前のこと彼は、将軍・徳川家康からイギリス王・ジェイムズ1世に送られた日本の甲冑を絹の紐(威糸)で専門的に修理し、しっかりと仕立てられている。まさに弟の三浦公法氏も人間国宝である。

 この展覧会で輝いているもう一つの物は、徳川家康に所属する西洋の甲冑(和歌山立博物館所蔵)である。この甲冑は胴鎧、首当そして兜で成るオランダの甲冑で、日本で造られた部品が付け加えられている。この種の甲冑は南蛮胴具足と呼ばれ、異国の蛮人のスタイルの甲冑のことである。この甲冑の正面(胸当)に試し撃ちの跡がはっきりと見られ、4つの弾丸の跡はいずれも貫通しておらず、着用者は負傷から護られる。
 これに似た南蛮スタイルの甲冑は靖国神社にもあり、外国スタイルの兜が付いているが、加賀地方の鍛冶屋が17世紀に作ったものである。

 この展覧会の変わった品はドイツから来た16世紀のMantelhelm(マンテルヘルム、面つき兜)、美濃地方の関市の関鍛冶伝承館の物である。その内側には宛名書きのレッテルが付いており、Sammlung Heahnert Nr.1556(ハーネルト・コレクションNo,1556)とある。
 この兜には意外な歴史があり、私の調査では、多分かつては、ハーネルト・コレクションのホールにあった物で、1928年にベルリンでその最後の所有者が死んだことにより、このコレクションは整理され、オークションハウスHecht(ヘヒト)で競売にかけられた。そしてその後の1938年に、関市から贈られた日本の刀の返礼として、Führer und Reichskanzler(ヒトラーの称号)の代理人から日本に贈られた。

~訳者の注釈~
 美濃の刀匠擁護会がヒットラーに日本刀を贈ったことに対するヒットラーからの礼状の日付は1936年で、その書状には兜を贈るようなことは一切書かれていないが、美濃の刀匠擁護会は1938年にベルリンで開催された第1回国際手工業博覧会に参加しており、著者・ライプニッツ氏が述べている1938年はその年に当たる。
~訳者注釈ここまで~

 私が所属している協会の会員に、ホームページを通じてハーネルト・コレクションの情報を尋ねましたが、残念ながら、今のところそれ以上の情報は得られていません。読者や関鍛冶伝承館に参考になる情報はありませんか。
 この展覧会は、19世紀後半にフランス政府から日本に贈られたKürassiere(胸甲騎兵)の鎧似て手終わっている。
 この展覧会では日本の甲冑を対比しているのは当然であるが、例えば大鎧と呼ばれる甲冑の正確な写しもある。それは14世紀に後村上天皇から武士の南部信光に贈られた物で、その現物は青森の神社にあり、国宝に指定されており、三浦公法氏がそれを正確に写した物である。
 それ以外には、若干の付属品と武器や甲冑に関する書物も展示されている。

 要するに、非常に興味のある展覧会で、日本と西洋の二者の甲冑を比較し、それぞれの特徴とする利点と欠点を見せているのは、私の知る限りは初めてである。
 この展覧会が優れた挿絵付きのカタログは55ページで、日本語と英語で全てに解説が付してある。もしこのカタログに興味のある人は、簡単なメイルで私に依頼すれば、5、6冊は調達できます。
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訳文以上





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.25 2010 三浦權利 comment0 trackback0
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マクシミリアン1世

Author:マクシミリアン1世